10記事目にしてこのブログの管理人の
「こば」について書いていくよ。
なんでこのブログを始めたのか?
どうしてスマホアドバイザーをしているのか?
どんなことを考えているのかがわかる回ですね。
学びになることは少ないかもしれませんが、
どんな人間が、記事を書いているのかがわかると
記事の見方も変わるかもしれませんので
ぜひ最後まで読んでいってくださいね。
基本情報
2021年の11月からフリーランスのスマホアドバイザーとして活動中
2023年3月現在、私は35歳で神奈川県相模原市で活動しております。
妻と10歳と5歳になる2人の子供と暮らしております。
後で詳しく書きますが、私は何度も転職を繰り返し自分のやりたいことをずっと探しています。
おそらく一生続くことだと考えています。
生い立ち
- 活発で3年生から地域のサッカークラブに所属して運動、体育が好きなタイプ
- 小学校の6年間はいつも通信簿に「落ち着きがない」と書かれていた。
- それでも親の影響からか、雨が降ったりすると図書室で本を読んでいる側面もあった。
最近20年ぶりに小学校の友人と食事しました。その頃の自分の印象を聞くと
「誰とでも仲が良いんだけど、たまにふらっと1人になってなんかしてた」と言われました。
おそらく自分のやりたいこと(読書)を優先してる時でしょうね。
- 入学時に親の都合で東京から栃木に引っ越すが、馴染めずサッカーを辞めることになる。
- テニス部に入り、地獄のような環境で中学の思い出は部活しかないくらいに打ち込む。
- 高校受験の終わりと同時に、初めての携帯電話を購入する。
本当はサッカーを続けたかったのですが、イジメとまではいかない「東京もん」という
田舎特有の圧は、12歳で転校したての子供にはキツかったんでしょう。
でも持ち前のひょうきんさ、明るさのおかげか半年も経てば田舎暮らしに順応してましたね。
この頃から年上の方に可愛がられやすい、という自分の特性を理解し始めます。
- 高校時代は中学時代の反動もあり、ゆるくテニスを続けつつ、一切勉強をしない生活へ
- 高二の冬休み、郵便局の年賀状アルバイトで得た給料で初めてのパソコンを購入
- 当時流行していた「ニコニコ動画」にハマり動画鑑賞が趣味に
実は高校受験に失敗しており、高校に入る1年前は高校受験用の予備校に通っていました。
栃木県にはなかったので、わざわざ毎朝お隣の福島県まで2時間ほどかけて通って勉強してました。
その反動があって高校では勉強が嫌いになって「絶対に大学には行きたくない!」となりましたね。
その頃からインターネットにハマってひたすらネット上の面白いコンテンツを探してました。
- 勉強を全くしない学生は大学に行かずに演劇の専門学校で俳優を目指す。
- 1人暮らしだったので、後に就職することになる大手リユース会社でアルバイトをする。
- 2年間で俳優の夢は諦め、それ以上に仕事にやりがいを見出し、そのまま新卒入社へ
東京の演劇の専門学校に進学し、いわゆるオタク路線に進むかと思いきや舞台に面白さを見出して
演劇に打ち込んでいました。
東京に引っ越してから、アルバイトの面接を申し込んだ大手リユースのお店で働き始めました。
そのアルバイト先が本当にいい環境で楽しくやりがいを持って働くことができた結果
「この会社で働きたい!」という気持ちが強くなりまして
演劇の道に進むorこの会社に就職する、の2択で結果的に就職することになりました。
職歴
- 2年間のアルバイト生活という実績があり、入社と同時に地方へ配属、新店で働き詰めに
- 地方に飛んだことや、友達がいないという環境で、稼いだお金は全て書籍代に変わる。
- 2年目にスマホと出会う。これは将来パソコンの代わりになる!と、どハマりする。
結果的に3年ほど働いたんですが、まだまだ発展途中の会社だったので、
結構ブラックな環境で働いていました。
アルバイトの時のようなワイワイガヤガヤの楽しい環境というのは店長や年上の人が
環境を作ってくれていたんだなーと、自分が店長になってからよくわかりました。
社会人として最初に入った会社がこの会社でよかったなーと今でも思います。
ちなみにこの頃にスマホに出会いました。
2年目の夏頃に先輩社員として、内定者の前でお話をする機会を頂きました。
大阪で行われるという日に、私は遅刻をしました。
慌てて資料も持たずに大阪に向かった私は、店舗のスタッフに
「自分のGmail宛にパソコンの中に入っている資料を送ってください!」そうお願いしました。
新幹線の中でパソコンで作っていた資料が届いた時に「スマホってすげー!」と
パソコンと同じことが携帯電話でできるんだ!と驚いたのは私の中でひとつの転機になりました。
- 3年続けた会社を退職したタイミングで、付き合っていた妻が妊娠、即再就職の為に入社
- フランチャイズなのでやることも変わらず店長歴もあった為に入社後即店長に
- しかし元々辞めていた業界だった為、1年で退社。このタイミングで相模原へ移住。
この会社は新卒で入った会社のフランチャイズ企業です。
入社する時に事情をきちんと説明して、「長期で働くつもりはありません」
と伝えていました。こんな自分を雇って頂いて今でも感謝しています。
そしてこの会社で学んだのは、「直営店とフランチャイズの間には様々な違いがあるということ」
これを身をもって知りました。
- 家族の紹介で、某大手不動産会社に就職するも営業の厳しさを知る。
- 冗談かもしれないが、先輩に配属2日目で「いつ売るの?」と詰められ、心折れる。
- 結果的に入社2ヶ月で退職。後にこの会社から新築戸建てを購入することになる。
自分の中で「この年齢で店長をやっていたから営業くらいできるだろう」そんな甘い気持ちで
営業を考えていたんですが、全然ダメでした。
今だからこそわかりますが、自分は完全に受け身でした。仕事を教えてもらえないから
ダメな職場と思っていましたが、今思えばとんでもない甘えでしたね。
家を買う人も少なくなっているので社員同士であっても数字の奪い合いですよね。
- 次はなんの仕事をするか?と考えた時に自分の好きなものを売りたかった。
- その時代はiPhone5などが話題になっており、携帯を売るために派遣ベンチャーに入社
- 携帯を売りたかったのに会社の都合で、ネット回線営業をさせられたので1年で転職へ
ここの会社には携帯を売れればなんでもいい、って思って入った会社です。
本社が秋葉原にあって、アキバで働けるという特別感っていうだけで選んでしまいました。
はっきり言って超ブラック企業で、派遣の勉強ということで週5日派遣先に行って、
プラスで本社の仕事を手伝えと週6勤務を強要され、特に仕事があるでもなく朝から終電まで
缶詰にされたりしました。
まぁ最終的には社長が脱税で捕まって倒産したんですけどね。いい思い出がない会社ですね。
- 結果的にこの会社に、7年ほどお世話になりました。
- 業界は好きになれなかったけど、この会社は今でも大好きです。
- ここで様々なことを学んだ結果、次のステップに進むことになりました。
前職で酷い思いをした反動で、この会社が本当に素晴らしいホワイト企業と感じました。
携帯の代理店といえば結構ブラックな印象が強いんですが、この会社はホワイトです。
もし携帯会社で働きたいという方がいれば、私は自信をもってこの会社を勧めます。
逆にいえばこの会社で働けないなら、それ以上の携帯ショップはないと思います。
携帯ショップで学んだこと
- 携帯ショップは代理店が大きいほど教育環境が整い、良質なサービスが保証される。
- 大きいお店だろうが接客の質は関係ない、最高、最低の個人がそれぞれ存在する。
- お客様にとって良い店員は千差万別。万人に好かれる店員は存在しない。
- お客様も老若男女様々な人間がいる、中には信じられないような出会いを経験する。
- 人間の集中力というのは1時間が限界で、2時間を超えるような契約は頭に残らない。
- 携帯ショップで即決することは後悔の第一歩。その為に必ず1回は話を持ち帰ること。
- お客様の為を思って・・・と商材を販売する人間も、何も提案しない人間もいる。
- 営業という仕事は1ヶ月だけ真剣に頑張っても駄目、3ヶ月頑張れると評価が変わる。
- 携帯ショップにいるのはあくまでも、自社製品に詳しい人間がほとんど。
大切なことは上記の通りですが、私も全ての携帯ショップのことを知っている訳ではないのですが、
ここでは書けないような闇が携帯ショップには沢山ありますので
また別に書かせていただきます。
スマホアドバイザーとして独立!
- 最初は料金の見直しを中心に活動、しかし皆様の携帯の使い方を知ることで方向転換
- 通信費の見直しだけでは生計が立たないので、商業施設でのイベント応援にも参加
- YouTubeやブログなども行いながら、シニアの方や学童の子ども相手の教室を開催
子供向けのスマホ教室やシニア向けのスマホ教室などを開催しております。
今後もっと回数を増やしていきたいと思っていますが、何をすればいいのか?ということで
現在お悩み中です。
私が想像している未来
世界はどんどんデジタルな世界に姿を変え始めています。
私たちが当たり前に生きてきた世界がどんどん作り替えられていくのです。
その変化を「楽しい」と考えるのか「辛い」と考えるのか。
この考えの違いの差はなんでしょうか?
私の答えは
「日々の変化に対応できる向上心、学ぶことができる」この違いではないかと考えてます。
学ぶことができる人は、世間の変化に対して敏感で情報の感度が高いです。
その変化に対応しようと学ぶ為に「行動」することができます。
行動できる人は自分で全部できるのでケアしなくても良いんです。
私はその行動できない人、学ぶことが億劫になってしまう方のお手伝いをするのが
自分の使命(仕事)だと考えています。
そういった方がひとりでも減ることによって、日本はまた力を取り戻せるんじゃないか?
そう思っているんです。シニアの方が頑張れる世界になったら
終わりに
如何だったでしょうか?
今回は勉強の要素はなかったかもしれません。
ただ「こば」という人間がどんな人間かを少しでも知ってもらえれば、
何か変わるかなぁという期待で書かせていただきました。
今後も読者の方に「勉強になった」といってもらえるような記事を書いていくので
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